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〜一時は輝けるも、華々しく散っていった戦友たちへの鎮魂歌〜
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何だかんだ言って桶の中心学年となり、演奏以外の運営のお仕事も増えてきて、それに一生懸命になっているうちに生きがいを見出しちゃったりして、演奏するという純粋な楽しみをどこかに置いて来ちゃったり、履き違えてしまいがちな危険な年頃。
1999年5月30日(日)
中野ZEROホール
法政大学交響楽団
第101回定期演奏会
指揮:新通 英洋
ラヴェル : 「古風なメヌエット」/1st
繊細なおふらんすの音楽。なぜか法政桶は代々所謂フランスものに弱い。荒々しいロシアものであったり、熱情にまかせて弾き切るドイツものは得意としているのだが。俺は単純にリズムのセンスであったり音程が悪かったりするだけの問題なのかもしれないが、と思っていた。要は繊細ぢゃないと弾けないと。
トリアノンフィルの指揮者である三原先生&トレーナーの河野先生と呑んでいる時にそんな質問をしてみたが、返ってきた答えは意外やこんな感じだった。
「フランスものには起承転結がないから」
それに慣れていないから、可笑しな結果になるのだと。
仏語が分からない、それは確かに大きなデメリットであるが、それだけではない別の理由として「起承転結」だと。
サン・サーンス : 交響曲第2番 作品55/1st
当時の法政はマニアックな曲に目がなくて、いつも選曲会議にはへんちくりんな曲が並んでいた。特に前/中プロ選曲には、「これはちゃーんす」とばかりに。そんな中で選ばれたのがこの曲。サン・サーンスらしくメロディックな仕上がりで無名ながら素敵な曲であるといえよう。前述のとおりエチュードのように単純ながら個々人の技量に頼る部分も大きく、曲が止まりそうになりながら何とか無理矢理通した、そんなイメージだった。
個人的にはもう一度やってみたい、そんな曲であります。
ドヴォルザーク : 交響曲第9番「新世界」作品95/1st
この時の指揮者の新通さんの良いところと言えば「桶を乗せる」事に長けているところと俺は思う。賛否両論あるけれど個人的には法政桶に合っている人と思われる。法政桶に必要な指揮者とは誤解を恐れずに言えば、
(1)下手なくせにプライドはイッチョマエの「その他大勢グループ」に属する連中をやる気にしてくれる。(2)基本的なオーケストラスタディを施してくれる。(3)ノリノリにしてくれる。
である。そしてノリノリな桶に取って一番イイ曲が「新世界」。死ぬほど難しいわけでもなく、内容が目茶深い曲でもない。中での評価はそれほどでもないが、外部からの評価が特に高かったのはこの演奏会。
総評:
101回目の定期演奏会に常任指揮者を呼ばずに客演指揮者をあえて招聘したところへ、これからの桶運営への気概が感じ取れた演奏会だったか。しかしながらやはり桶とは人の集合体。メンバー間の確執、実力と目標の乖離、やりたい事とやらなきゃいけない事の狭間でのジレンマ。演奏結果以外のことが多く頭に浮かぶ、そんな演奏会だった。
1999年夏休み
法政大学交響楽団夏合宿
ラヴェル : 弦楽四重奏 ヘ長調第2楽章/2nd
ピチカート(指ではじく奏法)主体により構成される名曲。
構成が複雑怪奇でリズム音痴なヴァイオリン弾きは思考停止に陥りがち。弦楽四重奏の世界の中でも所謂難曲とされるこの曲を何とか通したのは、まさに本番前夜だったような覚えがある。
栄えある金賞を頂いたが、それはまさに難曲に挑戦する事へのチャレンジ精神に対して頂いたものと思っている。(決して出来映えではないと思われる)
まぁ、気が向いたらもう一回やってもイイかな。たぶん弾けねー。
ドヴォルザーク : 弦楽四重奏「アメリカ」/2nd
演歌の花道、である。
落ちちゃったんだよね。この曲で。えんdゴメン。
1999年11月3日(水)
ティアラ江東大ホール
法政大学交響楽団
第102回定期演奏会
指揮:工藤 俊幸
ピアノ独奏:川上 昌裕
ムソルグスキー : 交響詩「禿げ山の一夜」/2nd top
「メカニックで肉々しい」と言うイメージがぴったり。弓を叩き付けるが如く力技で弾きまくれる曲というのはそうなかなか無い。
(実際にコル・レーニョという指示があり叩き付けるのだが)
オーケストレーションも単純明快で、リズム通りに刻むことさえ出来れば、崩壊することも無いであろう初心者向けの曲。
交響詩ってほんとに分かり易くて好き。曲を聴くだけで映像が目の前に浮かぶから。
この指揮者、桶、そしてあの殺伐とした雰囲気を持ってして為し得た怪演であったと個人的には思っている。ちょっとブラック?
ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第二番 作品18/2nd
弾いている内にあの世へ行ってしまいそうになる、昇天系名旋律を数多く作り出した作曲家ラフマニノフ。数々のソリストの演奏を聴いてきたが、この川上さんのソロは学生桶にはもったいない「本物」だったと思う。
チャイコフスキー : 交響曲第六番「悲愴」作品74/1st
冷静に考えればとんでもなく難しいわけでもないのに、難曲とされる「悲愴」。
指揮者が学生の酷い演奏にブチ切れてつっちー中に突然練習を切り上げて帰った等の記憶が、この曲と指揮者へのトラウマとなって未だにこの桶とこの代の連中を支配している(ような気が)。
総評:
結果としてこの1年間は桶にとって堂だったのか、未だに総括しきれない。
案の定、我がヴァイオリンパートはズタボロのボロクソ。初心者比率が高いなどという次元ではない部分で、なーんかバラバラだった様な気がする。
もちろん初心者にはオケの曲、というのはしんどい。だからって弦楽器の初心者を置き去りは出来なかったし、だからと言ってケツを押してやる余裕も無かった。せいぜい他のセクションの攻撃から庇ってやる事だけ。そもそも俺自体初心者みたいなもんだから「テメェ驕りやがって」とも思うけどねぇ、自分自身に対して。
出自が経験者と初心者の違いにより、技術的な乖離や音楽に対しての意識の違い、管楽器と弦楽器の出自の違いから来る意見の相違、桶の運営方法に対しての云々。
例えば、桶に入ればヴァイオリンが弾けるようになるかもしれない、なんて淡い期待を持って入団してきた初心者に、交響曲を弾けちゅーのも土台無理な話で、そんなメンバーが太宗を占めるパートと経験者だけで構成されるパートではそもそも音楽的に会話が出来るわけがないし、はたまたスーパースター級の実力者ばかりのパートとエセ経験者にて構成されるパートで目指すレベルは当然違う。
果たして寛容の心を持つことが解決の道か、リストラが解決の道か。
どこの桶でも悩むであろう、この禅問答のような問い掛けは今なおもって正しき回答を得ないまま現在に至る。
1999年12月12日(日)
オペラシティ大ホール「タケミツメモリアル」
第14回全日本大学オーケストラ大会
法政大学交響楽団 団体演奏
指揮 : 滝澤寛
チャイコフスキー : 交響曲第六番「悲愴」作品74より第1楽章/1st
指揮者が代わったことにより、多少の士気の高まりが見られたようである。ついつい演奏中にのめり込んじゃって落ちちゃいました。ハズカシ。というか本番中に神が舞い降りる、ちゅーかファンタジスタの如く「あ、ひらめいた」という指順で弾いたがために、その後どうやって降りたら良いか分からない、みたいなのが原因。
32大学の有志と講評委員による合同演奏(略して合同演奏)
指揮 : 佐藤浩太郎
リスト : 交響詩「前奏曲」/2nd top
なぜかセカンドトップ。弦全員がバリバリ弾きまくれて、とてつもない音量。はじめて「管の音小っちぇなー」などと優越感に浸れた桶でもある。それに加えて音程とリズムがぴったし合うと1+1が2以上になる、そういう素晴らしい経験を積ませてもらったと思っている。
恐ろしかったのは、つっちーでの1プル弾き。うおーやめてくれ。
N響コンマスの堀さんの音がめちゃ綺麗だったことを今でも鮮明に覚えている。もう一度あのメンバーで出来ないかな。無理かな。
総評:
初めての法政外部での演奏会を合同演奏で体験。可愛い女の子に囲まれたから舞い上がっていた訳ではない事をここで明らかにしておきたい。ほんとの意味でのアンサンブルって何か、ってやつを垣間見れたから、である。
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