演奏記録徒然 2002年(社会人2年生〜)
〜一時は輝けるも、華々しく散っていった戦友たちへの鎮魂歌〜


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社会人としての年次があがるにつれ、余裕どころか楽器に触る暇すら全く無い時が1ヶ月とかへーきで出てくるようになり、何となく虚脱感と挫折感に苛まれる日々。


2002年3月23日
練馬文化センター 大ホール
フロイデシンフォニーオーケストラ
13回定期演奏会
指揮: 米崎栄和
ピアノ: 岩崎能子


グリンカ: ルスランとリュドミラ序曲/2nd
バイトをしていた読響でアンコールによく使われていた一発芸的なピース。プロでは一発芸でもアマオケには一発芸で済まないはず、などと思っていたらホント一発芸的に弾くのねコイツら。
法政とは比べ物にもならない圧倒的な弦の巧さにドン引き。

ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第2番/2nd
学生時代に1回やったラフマニノフでさえ、一番最初の練習ではまだ僕にも分があったが、2回目からははるかに俺より仕上がってきている。この譜読みの速さ。圧倒的な弦の技術力。法政桶でちょこっと天狗になっていた事もあって、えらくへこむ。

しかしながら、俺はこの曲が大好きで、ましてや学生時代に無名ながら希代のピアニストと共演し名演だったと俺は思っているので、この曲に関しては一家言ある訳ですな。という立場ゆえにこのソリストはどーかと。そこらへんのピアノの先生じゃないの?とか思ってしまう訳です。カデンツァ弾きなおしてみたり。ありえな〜い。

ブラームス: 交響曲第2番/1st

ブラームスに関してはもう何も言いません。当時は譜読みも遅く、練習時間もあまり無く、いい加減に、適当にこなした感があり。ちゃんと気合を入れずに、センプレ後付け。いかんなぁ。
もういちどリベンジがしたい。そう思える曲であります。

総評:
圧倒的に巧い。絶対に勝てない。
と思わしめた桶。まさかここにずーっと在籍するとはこの時点では思わなかった。




2002年5月12日
横浜みなとみらい大ホール
法政大学交響楽団
107回定期演奏会
指揮: 河内 良智
オルガン独奏: 渋沢 久美


ワーグナー : <ニュンベルングのマイスタージンガー>より前奏曲/2nd
またまた寅さんである。今のところ法政の定演は全部出てるぜ凄いだろう。
なんてまったく自慢になりません。あーあ。

シューベルト
(ブライトコプフ新版) : 交響曲第7番ロ短調 D759「未完成」/2nd

だから未完成なんだってばさぁ。
なぜこの曲をやってしまうのか。
少なくともラッパと木管は最強の布陣でのぞまなければならないのであるよ。当然弦も。果たしてこの「ブライトコップ新版」を表現できたかと言われれば、そりゃ、甚だ怪しい結果であった。そこはアクセントですか〜クレシェンドですか〜。

サン=サーンス : 交響曲第3番ハ短調 Op.78「オルガン付」/1st
聴けば聴くほど何でこの人の交響曲はこの曲だけ深遠な響きなのだろうと不思議に思う。
オルガンと言う楽器そのものには当然、教会音楽のイメージがついて離れないでいるが、其れだけでなく宗教的な要素は西洋音楽からはなかなか切り離して考えられないとは思うけれど、まさに「祈り」を感じる曲なんである。
第2楽章アンダンティーノに1stヴァイオリンならば命を懸けたい。一部高音域でのどソロがDivになっており、裏の人はPizzという悲惨な結末になっており、絶対に表を死守することをお勧めする。
この時期は、ローリー寺西の影響で顔面でビブラート、逝きそうな顔して高音歌い込み、憤怒の低弦刻み、などなど突っ込みどころが満載。
やはりライブですから。ヴィジュアルも重要である。
かといって、それが絵に為るかといったら、ならんだろうが。


2002年10月27日
大田区民ホール「アプリコ」
アニヴェルセル管弦楽団
第1回演奏会(エキストラ)

指揮:野比のび太(わすれた)

ワーグナー: ローエングリンより第1幕/1st
実は世界一美しい曲の一つと思われる。Divの弦楽とヴァイオリンのソロ、衝動的に耐え切れず爆発する金管。うーんエッチ。さすがにこれはガマン出来ません。

プロコフィエフ: ロミオとジュリエット第1組曲・第2組曲より/1st
アホみたいに難しい曲。誰だこんな曲選んだやつは?
チャイコフスキーのロメジュリとはまた別の情景描写が素敵な曲であり、グロかっこいいという、倖田來未とはまた別の世界を、あれ?

ブラームス: 交響曲第4番/1st
社会人にもなるとこう貯金が使える曲と言うのはありがたいものである。
ブラ4は個人的には気心知れた奴だけで演奏したい、っていうのは我儘な願いか。



2002年11月3日
大田区民ホール「アプリコ」
フロイデシンフォニーオーケストラ
14回定期演奏会
指揮: 加藤 晃
ヴィオラ: 武生 直子


スメタナ: モルダウ/1st
その優雅な曲調の裏には、内声部の弛まぬ努力が隠されているのをご存知か。
川の流れをあらわすかのような上昇/下降をくりかえす音階が延々と続き、これまた訳分からぬ指使いで無理やり対応したりして、余計分からなくなって、むむむっ!と来た辺りであの有名な旋律に戻って、ほっとしたら荒れ狂うモルダウ!みたいな場面になって、うおおっ!と来た辺りで高いお城が見えて終わり、と言う曲なんである。難しかった。

バルトーク: ヴィオラ協奏曲/1st
マッハ殺戮集団とかいう弦楽四重奏団を結成してバルトークの弦楽四重奏を演奏した覚えがあるが、それに引き続きバルトーク第2弾(俺の中で)。なんせ数えるのがめんどくさいと言うか、よく皆数えてるねぇ、と感心してしまう事多々あり。てな事で楽しようと思ってセンプレ後付け。

ビオラ弾きには、傑作とされるこの協奏曲。つくづくヴァイオリン弾きとは我侭で贅沢で自分勝手な、そして幸せに気づかない生き物だと思う。バッハもベートーベンもブラームスも、メンデルスゾーンもチャイコフスキーもヴァイオリン協奏曲は書いたけど、ビオラ協奏曲は書いてない。このことからバイオリン弾きには選択の余地があるにもかかわらず、ビオラ弾きにはほとんど無い事がわかる。つまり好き嫌いが言えないのである。だってホント無いんだもん。選べるほど。

ドヴォルザーク: 交響曲第8番/1st

この曲はもっともっと魅力的になる筈が、どーにもこ−にも使い古されて、陳腐化して、結局俺らのような「やさぐれアマチュア」にまで「飽きたぜ」とか言われる結末へ。チェコフィルがあんなにも美しく荘厳にドヴォルザークを演奏するのとはなんでこうにも違うのか。
詰まるところ、音楽先進国であるウィーン、ベルリンにしてみればチェコなど屁の河童の如くコケにしてやせんかね?要は曲に対しての共感も何も違うからあーいう風になるんじゃないかと。そして東洋のはしっこの島国日本でもそれに倣ってみたり。
演歌臭いというしょーも無い理由で。
ジャイアンツ愛ならぬドヴォルジャーク愛ですよ。必要なのは。

総評:
演奏に関しての記録があまり無いと思った人。正解です。実はほとんど練習してないから適当に弾いたがゆえに記憶無いんだろ、と思った人、あまり深追いしてはいけません。
この加藤先生という指揮者、ある意味一種の天才で、その豊かな表現力、ユニークな発想、どれをとってもスリリングなつっちーになる。いい指揮者だよなぁ。



2002年11月10日
ティアラこうとう 大ホール
法政大学交響楽団
108回定期演奏会
指揮: 田久保 裕一

シベリウス: 交響詩「フィンランディア」/1st
F氏と組んでやった99回のときよりはよっぽどマシな演奏。
しかしながら前プロだと思ってほんとナメてはいかん。
金管のファンファーレ。「ぺ〜ぺ〜」とうすっぺらい音を出してはならん。そしてそこから始まる弦セクション、ここは実はバスが重要。戦火で焼け出されたイメージだろ。それでも灯火のごとく残る独立心みたいな。長調へ転調する寸前のトランペットがショボイと泣けてくるしな。「ぺっぺぺ」みたいな。弦のリズム刻みは叩き付けるように弾かねばならぬ。
ベートーベンの運命のように毅然として画然として。
その後の木管、これまたショボイと泣けてくる。音価分きっちり伸ばせられねーのか。その後に入る弦の気分にもなっておくれよ。弦が入った後はチェロ命。そしてホルン。あとは若さにかまけてイケイケドンドン。

チャイコフスキー: 幻想序曲「ロメオとジュリエット」/1st
こういった速弾き系は、個人で弾いていればそれはそれではまるが、パートとして、桶として弾いたとき、果たしてどんなもんかなと思う。個人的にはいっぱいいっぱいなので、シンバルのリズムなんぞに耳でも奪われればあれよあれよとトチ狂う始末。

ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番ニ短調 Op.47 「革命」/2nd
機械的な部分と、美しいところと、異常な緊張感を要求するところ。それぞれが極端に存在している。決して好きな作曲家ではない。しかしながらこの曲を全曲を通し終わった後、まるで運動会を終えたかのような清々しさは中々イイ。最近運動してないしね。



2002年12月22日
東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」
第17回全日本大学オーケストラ大会
 
法政大学交響楽団 団体演奏(エキストラ)
指揮: 瀧澤寛

サン・サーンス: 交響曲第3番「オルガン付」より第2楽章/1st

小職初の海外出張の帰国日が12月22日。終わってます。俺の後輩がオペラシティへの入館証など色々手配してくれたので助かったが、本来なら辞退すべきところ、オペラシティでオルガン付なんて早々できねーぞとかいうスケベ根性から、マレーシアを散々駆けずり回って、シンガポール経由の夜行便で朝一に帰ってきたのであった。もはや疲れを通り越して、4度目の桶大に浮かれていた。
一度やったから弾けるであろう、などと考えるのもおこがましい位にオルガン付という交響曲は巨大な建造物の如く聳え立ったものである。
(対訳:だめだめじゃーん)



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